紀州みなべの特産品「南高梅」
梅は奈良時代に薬用として「烏梅」の形で中国から渡来し、熱さまし・吐き気止めなど、高貴な人たちの「薬」として珍重されました。
庶民に広がるのは鎌倉時代以降で、とくに戦国時代には兵糧として必需品になっています。南部で梅栽培が始まったのは、紀州藩主・徳川頼宣の頃です。あまり米が育たない田畑と年貢に苦しんでいた農民に、田辺藩主・安藤帯刀は、瘠地や山の斜面に「やぶ梅」の栽培を奨励しました。
「やぶ梅」は果肉が薄く小粒でしたが、疫病を防ぐ民間薬として江戸で人気が出るようになります。そこで南部梅の良品なものだけを選び、「紀伊田辺産」の焼印を押した樽に詰められ、江戸へ送られるようになりました。以来、南部の村人たちは、梅干の需要が伸びるに従い、努力に努力を重ねて実梅の改良を進めてきました。山を開墾し、現在の南部梅林の基礎ができたのは明治末期の頃です。そして昭和には「南高梅」が誕生し、先人たちの努力が見事に実を結びました。
創業70年の梅干の老舗 - 倖梅 -
梅干の製造販売
取扱商品 梅干、梅エキス、しそ巻梅、梅酢
備長炭
南高梅・小梅を紀州産にこだわり、独自の味つけ技術で倖梅だけのおいしさにこだわり、機械を使わず、人の目と手で1粒1粒丁寧に詰め、さらに安心してお客様のもとへお届け出来るよう品質管理を行っております。
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